第二言語

あまり好きではないCMに(まだやってるのかな?)、どこかの幼児英語教育のCMだと思うのですが、3歳くらいの男の子がお友達の女の子に(英語で)コクろうとして結局できず、最終的にはお母さんに[I love you]と言うものがあります。
あと、公園で白人の男の子が遊びに混じりたそうなのを見つけた日本人児童の集団が[join us!]と誘って一緒に遊びはじめる、というのもありますね。
なにが嫌いって

1) 英語で「I love you」と言われて嬉しそうな母
母の希望する早期英語教育の成果が出てて嬉しいのはわかるけど、なんか納得いかん・・・

2) 英語で話し掛けられるのを待つ白人少年
CMシチュエーションは日本。少年よ、キミが日本語を覚えようぜ!!

ってとこ。

英語が母語のパートナーとの間に生まれた子供(もしくは家庭内共通語が英語)ならいざ知らず、日本語も満足に出来ないうちから英語を叩き込むことにどれくらい意味があるのか。
子供が話している言葉を親がわからないってのは相当きつい。
日本在住インドネシア人家族で子供が日本の学校に行っていると、子供は日本語を自由に操るけど、親はそこまで日本語わからないから、子供の日本語は相当ひどい。
「そんな言葉使うんじゃありません!」というのができないから。
家庭によっては、インドネシア語では絶対そんな言葉づかいしないのに・・・という言葉で親がわからないと思って、すごい日本語話している子もいる。
巷の幼児英語教育は遊びの中で身に付けよう、というスタンスだけど(少なくともCMではそんな感じ)、学校のカリキュラムに組み込まれたら話は別でしょう。
環境の中で自然と世の中には複数の言語も存在するんだ、と思い身についていくのはいいのかな、とは思うのですが、人間、いくつ言語を操れてもしゃべる内容は変わらない、と思うのです。
何語で話すにしても、その口から発せられるコトバはその人の思考。
子供に必要なのはいくつも言語を覚えることより、思考を表現することの訓練じゃないのかなぁ。
そして、家で話す以外の言葉が世の中にはゴマンとあるのだから、なにも英語だけを習う必要はないでしょう。
言葉・言語というのは手段であって、目的ではない、と思うのです。
コミュニケーションを取りたい、と思って初めて真剣に身につくんじゃないでしょうか。
そのコミュニケーションを取りたい相手によって学びたい言語も変わるでしょう。
コミュニケーションを取りたい、と思わない人はその人と共通の母語だとしてもお互いにコミュニケーションは取れない、と思います。
同じ言葉を使っているのに宇宙人みたいな人、いるでしょ。

あと、声を大にして言いたいことが1つ。

外国人=英語を話せるという思い込みは止めてくれ!!

海路郎さんはトライリンガルですけど、内容はジャワ語・インドネシア語・日本語です。
英語、できません。
先日、病院で海路郎さんってば日本語きちんと話してるのに、お医者さんってば「英語でいいですか?」ときたもんだ。
ドクター、あなたは日本語より英語の方が自信あるんですか?
肌は黒いしちょっとイントネーション変だけど、日本語話してるジャン!!
日本語でコミュニケーション取れてる人に英語って・・・
この病院には二度と行きません!

さて、なんだかまとまりませんが、今日のネタはKNC姉さんの日記より着想しておりますのでとらっくばーっく!